humanitarian computingを研究教育のテーマに据える
FtC+奥村 貴史
tweeting_drtaka とある方面より、Funding the Commons Tokyo 2024というイベントのご案内を頂きました。都知事候補であった安野たかひろ氏が登壇され、オードリー・タン氏と対話するイベント、という紹介が分かりやすいかも知れません。…が、実は、昨日までよく知りませんでした。(続く) tweeting_drtaka どうも公式サイトは抽象的な内容が多い印象。funding…ということは、予算を持っている側と求める側をマッチングする機会なのかなと思うものの、そうでもなさそう。あれこれ調べてたどり着いたのが関さんのnote。そこに記されたCode for Japanの「悩み」がヒントになった。 tweeting_drtaka Code for Japanは、公益に資する情報技術を形にしていくボランティアを組織化してきたプロジェクト(と、理解)。その代表が、「デジタル公共財への投資が低調な状況を身をもって味わってきたのが私たち」と書かれている。それで、「あ、これは自分の話だ」と理解しました。 >tweeting_drtaka: 社会にとって有意義な研究テーマはいろいろあるのに、アカデミアの評価やマーケット的な評価と一致しないと、過少投資化してしまいます。それを補うのが研究者の好奇心なのだとすると、研究の自由を学者に保障することが社会にとっては望ましいのでしょうね。
tweeting_drtaka 要するに、公共的な技術に対する研究開発投資というのは、投資が本質的に過少になるのです。自分は公衆衛生の情報技術に取り組んできましたが、収益を上げられるわけでも、目的とした技術でもないので、予算は公的助成に限られます。GAFAMのR&Dや情報系の起業家が市場から調達する額と桁が異なります。 tweeting_drtaka 我々の研究は、人類の資産となる確信があります。その成果を無償でフルオープンにすることで、技術のさらなる発展がもたらされます。 でも、そういうスタンスは、「ビジネス」からは支持されないので、我々は「研究」という切り口で予算を頂戴し、研究開発の成果を公開してきました。
tweeting_drtaka 我々のそうした試みは、幸いにも研究コミュニティの理解を得て、多くの研究予算を頂戴することができてきました。ただ、研究が進むことでやるべきことは増えていくのに、ビジネスと異なり事業規模を大きくすることは困難です。結果として、負担が増し続けて今に至ります。 >tweeting_drtaka: 僕が研究室を主催する立場になったらHumanitarian computing labみたいな名前になるのかなと思います。フォロワーの中にも近い分野に興味がある方がおられるかと思いますので、この数日は、見聞きしたこと、共有してみます。 どういうアウトプットが出るのかは分かりません。ただ、長らくこの問題の当事者として過ごし、今回の企画に接して、2点ほど、考えることがありました。
運営4人の書いた記事を全部AI要約して並べた。OSSなどのデジタル公共財を支援していくメカニズムデザインに興味がある人はこの要約だけでも読んで「世界をより良くしていこうとしてる人たちがいるんだなぁ」と思ってほしい
tweeting_drtaka 一点目は、「公共財」という語です。コードだけでなく、データなどの資産を広く含める意図を感じます。でも、フローでもストックでも、データには運用的な側面が関わり、コストが掛かる一方、データそのものは価値を再生産しない。その点、コードへの投資がより効果的と思料。